寿徳寺~近藤勇鎮魂歌~
寿徳寺は新選組局長近藤勇の墓があります、と言ってもJR板橋駅の道向かいの小さな公園のような場所にある境外墓地です。
私が昔住んでいたアパートの裏が寿徳寺でした。JR板橋駅から通勤していましたが、通りがかりに見ると新選組子孫の方々が来られていて式典と法要が行われていました。
左上、近藤勇子孫の宮川清蔵さん、左上二番目。土方歳三子孫の土方陽子さん、その隣のたれ眉のご老人は近藤勇子孫の宮川豊治さん、中央は佐藤彦五郎子孫の佐藤福子さん、その横の夫妻、永倉新八子孫の長倉達郎さん、長倉さんの後ろのメガネの男性も永倉新八子孫の杉村悦郎さん、右端の背の高い人は井上源三郎子孫で井上雅雄さん、右端の方は不明ですが発起人の歴史関係の編集の方(多分)、前列は寿徳寺関係者、
板橋にて斬首された近藤勇は首は京都の三条河原で晒された後は行方はわかりません(愛知県に首塚はある)。胴体は掘り起こし寿徳寺境外JR板橋駅前(東口)に埋葬されたと言う、他にも龍源寺等に墓がある、これは処刑当日に他にも処刑された罪人がいて首が無い為どちらか誤って掘り起こされ埋葬したのかもしれません。
近藤勇の左横には土方歳三も連名で供養されています。
小振りな近藤勇の銅像、幕府に身を捧げ百姓の倅から旗本にとりたてられ最期は大名のようになりました。甲陽鎮撫隊を結成し甲府城に向かうも新政府軍に先を越され甲州勝沼の戦いで敗退します。一旦江戸にもどり再起するものの流山で新政府軍に包囲され投降し、薩摩の有馬藤太に捕縛され連行されます。
処刑は有馬藤太不在の隙に実施されます。斬首したのは横倉喜三次(よこくらきそうじ)で偽官軍の汚名をきせられた相良総三もこの横倉に斬首されています。かなりの剣豪でわざわざ介錯の為に呼ばれてきています。
近藤は捕縛されたときに大久保大和を名乗りますが、因果応報で新政府軍に高台寺党がいたとかで近藤勇であることが発覚します。
埋葬当初の墓石、おそらくこの時点では逆賊扱いの為、目印程度の墓石だったのだろう、どこにもありそうな少し大きい石です。首のない胴体だけ埋めた時の悔しさが伝わってきます。
初期メンバー試衛館グループでは近藤勇斬首、土方歳三戦死、沖田総司病死、永倉新八投降、山南敬介切腹、井上源三郎戦死、藤堂平助暗殺。
境外墓地には分骨された永倉新八の墓もあります、大正まで生きて新選組の顕彰活動に尽力し、新選組の回想録も残しています。新選組の初期のメンバーではただ一人生き残りました。最後まで戦い抜いぬいたのに生き残ったのは,新選組の活動を書き残す使命を与えられたのでしょう。
現代に伝わる時代小説の新選組の元ネタは永倉新八の手記や口伝によるものが多いです。多少の記憶違いはあっても新選組の最高幹部の生々しい証言ですので迫力が違います。
「浪士文久報国記事」は明治八年頃に記憶も確かな回顧録です。無骨ですがことこまかに新選組の結成秘話から書いています。
近藤の大久保大和に土方の内藤隼人、いかにも幕府の忠臣のような名前です。
八木邸 新選組屯所 1862年江戸で清川八郎の献策で浪士組を結成し14代将軍徳川家茂の警護で上洛する。
清川八郎は上洛すると浪士組を天皇直属にして江戸で攘夷を行う宣言をする。
ここで芹沢のグループと近藤のグループは江戸帰還を拒否し京都守護職松平容保のお預かりとして京都に残り新選組として治安維持活動をします。
ここ八木邸は芹沢鴨暗殺の場となりました。
酒に酔い就寝中の芹沢鴨・平山五郎が討たれました。
芹沢鴨(~1863)・平山五郎(1829-1863)の墓
芹沢は初代新選組筆頭局長ですが、どうやら隊をまとめる指導力に欠けていたようです。
悪行の一例は、京都の角屋(すみや)では水口藩から取ったわび証文の返却の際に酒宴となりますが、芹沢が角屋の店員の態度に腹を立てて店を破壊し大暴れしたうえに7日間の営業停止にしました。
大坂では遊郭の吉田屋に乗り込み前日自分の意のままにならなかった芸妓の小寅とお鹿を断髪した。京都の治安維持が職業なのに治安を乱し市民を恐怖に陥れています。
日頃の乱暴狼藉がたたり、会津藩から近藤に芹沢処分の密命がくだります。
会津藩の催した角屋での宴会で泥酔して帰宅した芹沢と平山は近藤グループに寝込みを襲われ非業の死を遂げます。
長州藩が犯人として知らぬ顔で葬儀をすませた近藤や土方はこれより主導権を握ります。
暗殺の際についた刀傷・・
暗殺の際にこのふみ机にあたり転んだ・・
八月十八日の政変1863・9・30⇒池田屋事件1864・7・8⇒禁門の変1864・8・20
新選組は普段から怪しいとにらんでいた古高俊太郎を捕縛し、前川邸で近藤と土方が直々に凄惨な拷問をして自白させる。自白の内容は風の強い日に御所に火をかけて孝明天皇を長州にお連れし、中川の宮を幽閉・松平容保を殺害する。
新選組が手柄を大きくするために話を盛ったとも考えられますが池田屋事件の後には古高の自白と同じような禁門の変がおこり京都は火の海になります。
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