心眼寺~真田信繁夢の跡~

真田信繁が大坂夏の陣で討たれた地は安居神社だとされています。

近辺には大坂城や真田丸の跡、NHK大阪の敷地内には孝徳天皇大化の改新時代と聖武天皇の難波宮の遺跡があります。ヒストリアや朝ドラが撮影されている真下には7~8世紀の遺跡があり見学もできるというなんとも不思議な空間です。



大坂夏の陣布陣図  天王寺公園 茶臼山

大坂冬の陣では徳川の陣地、夏の陣では真田の陣地になりました。

石碑には、陣跡 茶臼山 冬の陣 徳川家康本陣跡 夏の陣 真田幸村本陣跡と彫られています。

頂上には陣を張るには手頃な場所があります。お椀をかぶせたような形です。


一心寺(いっしんじ)天王寺区にある浄土宗のお寺です。大坂冬の陣・夏の陣では徳川家康の陣が置かれました。



徳川家康が境内の弧松の姿を讃えて贈った坂松山の寺額


八代目團十郎の墓(1823-1854)  実父である七代目團十郎は水野忠邦の天保の改革で奢侈禁止令に触れて江戸所払いとなります。恩赦になりましたが最大の悲劇は息子の八代目が大坂で突然自殺し九代目は弟が継ぎました。浅草寺境内裏手にあるのはこの九代目團十郎の像です。


天保の改革ですが庶民には奢侈禁止令で取り締まるも、大奥は内部から反対されて法令の対象外となるなど本末転倒の悪政でした。


本多忠朝の墓(1582-1615)

本多忠朝は徳川四天王の一角である本田忠勝の次男として生まれます。勇猛な息子で若くして関ケ原の戦いで功をたて早くも大名となる。

スペイン船サン・フランシスコ号が難破したおりは300名あまりも保護し、ドン・ロドリコ日本見聞録に40日の滞在期間中に村の人々が献身的に対応してくれたと記されている。

記録に残るかぎりは武勇にすぐれた好漢なのですが、ただ酒癖が悪く、大坂冬の陣では酒を飲んでいて不覚にも敗退しました。

徳川家康にそれを咎められて夏の陣では毛利勝永軍に突入するも討ち死にしました。

遺言で「死後は酒のために身を誤るものを助けん」と誓ったそうです。現在では酒封じの神として酒に苦しむ人やその家族の多数参拝するところとなりました。


参拝者は300円のシャモジを購入して断酒を祈願して墓碑の壁にかけます。

酒におぼれた人が酒で失敗した人に祈願しても・・・しくじり先生俺みたいになるな!のオファーがきそうです。大河ドラマ真田丸ではこのくだりは全く出てこず残念でした。

三光神社は真田丸が置かれ真田信繁が大坂城から三光神社までの抜け穴を作ったと言われ、現在でも敷地内に岩穴があります。但し実際に真田が掘ったのかは定かではありません。

また付近にはいくつかの横穴がありこちら以外は埋められたそうです、もしそのままにしておけば大坂の陣の貴重な痕跡となった事でしょう。

こちらの像の台座には真田の菩提寺、長谷寺の石が使用されている。と台座に由来が記入されています


人ひとり入れるくらいの小さな穴で鉄格子に鍵が掛けてあり、中に侵入することはできません。真田の家紋・六文銭のレリーフが取り付けてあります。


鉄格子の隙間からカメラのレンズを伸ばして撮ると奥が見えました。すぐ突き当たり左に曲がっているように見えます。下にはお賽銭が投げ入れられています。


戦国の世を渡り歩いた真田一族は徳川と豊臣に分かれて戦い夏の陣で敗れた信繁の血脈も伊達家家臣の片倉家などに伝わりました。


真田信繁は安居神社の境内で、傷つき疲れた身体を休ませていたところを松平忠直隊鉄砲組頭の西尾宗次に発見され、「わしの首を手柄にされよ」と最後の言葉を残して討ち取られました。


安居神社本殿

右後ろの松によりかかって休息を取っていました。

武将の銅像は勇ましい姿を描いたものがほとんどですが、この銅像はありのままの最期を伝えようとしていています。誰かがお酒をお供えしていましたが今にも飲みそうです。



心眼寺 真田幸村出丸城跡の石碑。


真田信繁(1567‐1615)

真田親子を祀るために創建された心眼寺ですが徳川幕府に憚り、真田信繁のお墓は建てられないままでした。大坂冬の陣から400年目にあたる2014年、信繁四百回忌に念願の墓碑が建立されました。寺を入ってすぐの場所にあり、「従五位下 真田左衛門佐豊臣信繁之墓(じゅごいのげ さなださえもんのすけとよとみのぶしげのはか)」と記されています。

同じ心眼寺にある時代を超えた幕末の剣士の墓。

京都見廻組隊士

渡邊吉三郎(1841‐1868)

幕臣で鳥羽伏見の戦いで戦死

桂早之助(1841-1868)

小太刀の名人で龍馬を斬った最有力候補、同じく鳥羽伏見の戦いで戦死。


佐々木只三郎配下で剣術の使い手。一般的に見廻組は新選組のような目立つ行動はしないが幕臣で剣術に優れた者が選ばれているので実質的には最強の剣客集団である。

近江屋で坂本龍馬と中岡慎太郎がこれらのメンバーから襲撃されて逃れるのは不可能だと思います。







大江戸お墓巡り図鑑

武将や浮世絵師、幕末の志士などを中心にお墓巡りをテーマに歴史散歩をします。歴史の教科書を捨て街へ出よう! ご連絡はコメント欄よりお願いします。

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